わたし好みの新刊    201412

『うらやまはくすりばこ』 (かがくのとも7月号)
                  
米本久美子さく  福音館書店

 この本は珍しく生薬(和方)になる身近な植物を紹介している。昭和の時代
でもまだ,傷薬や胃腸薬にヨモギやドクダミを使っていたが今はほとんど使わな
くなった。次々と宣伝される医薬品にならされて,今はもう「薬」といえば「薬局」
と短絡的につながってしまう。また,漢方薬もあるのだが,これも漢方医に調合
してもらって薬局で受け取る体制になっている。今はもう生薬は,すっかり身近な
植物から切り離されてしまっている。

 本誌『うらやまはくすりばこ』は,今日のような薬生活の中で身近な植物に改め
て目を向けさせてくれる。ふつう「薬草」と言うと,これも専門化して「薬草植物園」
などで見る特別な草に目がいきがちである。しかし,薬草になる植物は意外とわた
したちがふだん目にしている植物なのだ。

 この本は,わたし(主人公)がおばあちゃんの家に遊びに行って,おばあちゃん
から身近な植物(薬になる植物)を教えてもらう構成になっている。植物としては,
ヨモギ,スギナ,オオバコ,ガマ,フキ,ドクダミ,タンポポなど,よく目にする植物
が次々と出てくる。おばあちゃんの裏山が舞台であるが,ゲンノショウコ,クズ,ヘ
クソカズラ,オナモミ,ツユクサなどは都会の川原や公園でも見られる。この本は,
身近にある「薬草」に改めて目を向けてくれる本である。

 別刷りには,監修者による漢方薬,和方薬の簡単な解説がある。「日本の民間医
薬は、五五〇年ごろ中国から入ってきた漢方薬にだんだんおされてしまいます。それ
まで一般の人々に伝えられ、用いられてきた日本の生薬は、漢方に対して、「和方」
もしくは「民間薬」と呼ばれるようになりました。『うらやまはくすりばこ』に紹介した
ものも和方です」と書かれている。

 小さな子どもの本とは言え,まさに和漢薬への再評価につながる本である。

                                   2014,7刊  389

『北加伊道』  関屋敏隆/著   ポプラ社 

 この本のタイトルを見て「ほっかいどう」と読まれる人は何人おられるだろうか。私
には読めなかった文字である。この本は,今から160年前の江戸時代後半,えぞ地(北海道)
を旅してアイヌの人々と交流した松浦武四郎(1818-1888)の話である。和人との争い
が絶えなかった当時,えぞ地をくまなく歩いてアイヌとの交流を深めた武四郎の記録や日
誌に基づき,実際に著者が北海道を旅して武四郎の足跡を再現した絵本である。著者は
若い時から北海道も旅して数多くの木版画を作っていた。今回,武四郎の絵地図を元に
えぞ地の姿を木版画で再現された。全ページに木版画の力強い絵が躍動している。

 伊勢の国生まれの武四郎は16歳から本州各地を旅し見聞録や地形を克明に書き記して
いた。平戸にいた時,長崎奉行所の書記官からえぞ地の探検調査を依頼され,えぞ地探
検のきっかけとなる。武四郎28歳の時津軽海峡を渡りエサシの住民となる。まずは,
箱(函)館からシレトコまでの旅である。29歳で宗谷海峡を渡りクナシリ,エトロフまで足
を伸ばす。武四郎はアイヌの人たちから聞いた地名や由来をたくみにメモしていく。時には,
丸木船に乗り生活を共にし男たちの話を聞く。江戸にもどった武四郎は,アイヌの人々の
苦しみなども書き添えた地図を出版する。江戸幕府開国後,武四郎はお雇い役人として再
度エゾ地を訪れ内陸部にも入っていく。コタン(村)ではアイヌ模様などアイヌの文化にも
ふれる。1869年には北海道開拓のための役所の開拓判官に任命される。武四郎の案で
「蝦夷地」に「北加伊道」の名が付けられた。「加伊」とは「アイヌ」を指す言葉という。
「北海道」には〈アイヌ文化の国〉という意味が込められている。この本は著者にとって
も生涯の大作である。            2014,6刊  1,600円 (西村寿雄)

                「新刊案内2014,12」